SDエイバル対SDウエスカ戦 キャプテンマーク

アラゴン州の新しい取り組みや発明にまつわるアラゴンアイデンティティをテーマにしたキャプテンマークシリーズ。それぞれの分野で社会に貢献したウエスカ県とアラゴン州の人々を取り上げています。

SDエイバル戦で主将が巻くキャプテンマークの主人公は、ダニエル・モントリオ・ファホ。「Soy Minero」(私は鉱員)や「Cocinero, Cocinero」(シェフ、シェフ)などのスペイン歌謡曲を手がけたウエスカ出身の多作なミュージシャン兼作曲家であり、当時は非常に目覚ましい音楽キャリアを築きました。

ダニエル・モントリオ・ファホ:スペイン歌謡曲「Soy minero」と「Cocinero, cocinero」の作曲者。

上記の2曲は、1955年公開の映画「Esa voz es una mina」(その歌声は鉱山そのもの)でアントニオ・モリーナが歌い人気を博しました。スペイン音楽界の歴史に足跡を残した作曲者に敬意を表すため、五線譜をモチーフにしてこのキャプテンマークがデザインされました。彼の輝かしいキャリアはウエスカでスタートし、幼少の頃から音楽の英才教育を受けていました。ウエスカ交響楽団で演奏の経験を経て、1921年にはわずか17歳でウエスカ大聖堂の2代目オルガニストになりました。その後、ウエスカ県教育委員会の奨学金を得て、後にキャリアの拠点となるマドリードで音楽の勉強に励み続けました。 演劇用の楽譜も書くなどしてキャリアを積み、特にサルスエラ(スペインの叙情的オペラ音楽)作品の楽曲パートを多く手がけました。

その後、映画や広告のテーマ曲やサウンドトラックの作曲など活動の幅を広げ、その勢いは止まることを知らない。初めて担当した映画は1931年公開の「¡Viva Madrid que es mi pueblo!」(私の故郷、マドリッド万歳!)でした。
また、1954年にオリンピア劇場で初演された、詩人エンリケ・カペラ作詞のウエスカ聖歌の作曲者でもあります。1989年、スペイン著作権協会(SGAE)がミュージカル作品の初演を称えるダニエル・モントリオ賞を創設したことで、故人の名が後世に語り継がれることとなりました。

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